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花と光と風と…
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日光東照宮       2008年





『陽明門』(国宝) 正面
 後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」
の額が掲げられています

 







『陽明門』 裏側










「麒麟」や「龍」などのみごとな彫刻の数々






 


  「日光を見ずして結構というなかれ」の言葉通り、その豪華壮麗な建築美は他に比肩するものがなく、「存命中に一度は見たい場所」として、昔から人気の観光スポットとされてきました。
江戸時代初期の代表的な建造物として本殿以下8棟が国宝とされています。

 『陽明門』は、その中でも一日中見ていてもあきないことから「日暮門」とも呼ばれています。 陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられています。
 とりわけ見事なのが、508もの彫刻の数々です
軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されています。
 柱は全部で12本あり胡粉が塗られ、グリ紋と称する渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られています。特に裏側の左手2番目の柱は『魔除けの逆柱』と呼ばれグリ紋の向きが逆で、「完成した瞬間から崩壊が始まる」という古事から、わざと未完成の部分を残しているそうです。







五重の塔 (重要文化財)

 案内板によると、「慶安3年(1653)若狭小浜藩主・酒井忠勝の奉納。
高さ35m。吊られた心柱により高層建築の振動を調整する工夫がされている。」とあります。

「日光の社寺」として『世界遺産』に登録されたのは、「日光二荒山神社」、「日光東照宮」、「日光山輪王寺」です。
     

 




 日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受けといわれています。また「風水」の思想、とりわけ「四神相応」を重視したことでも知られています。

 四神とは中国神話に登場する、世界の四方向を守る聖獣のことです。
東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武といい、それぞれ川、海、道、山などに対応します。
玄武とは、「亀」と「蛇」を合成したような姿で聖獣の一つとされています。
この四匹が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。
 この日光東照宮では、陽明門の前のあたりが、その「四神に相応した地」とされています。









『三神庫』の「上神庫」
上神庫・中神庫・下神庫と三棟あります






 




   『上神庫』の屋根妻面には狩野探幽が下絵した「想像の象」の彫刻があり、「三猿」と「眠り猫」と共に「日光三彫刻」の1つとされています。  





 

 
 この地は、本殿前に設けられた陽明門と、その前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られたそうです。また、その線を真南に行けば江戸へ着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されていると言われます。

 古代から、様々な建造物を造成するにあたって、「陰陽道」「風水」「四神相応」などの思想に、地理学、天文学を取り入れ、これほど綿密な「都市計画」がたてられていたことにも驚きです。

 エジプトのギザの『三大ピラミッド』が、オリオン座の三つ星に相応しているというお話がありますが、それを少し連想してしまいました。面白いですね。










『坂下門』

この門をくぐり、石段を約二百登ると
家康公の御墓所奥宮がある…とあります









『奥宮』に向かい階段を上ります
全部で207段、一段ごとに一枚岩で
できているとのこと










有名な家康公のご遺訓
長い階段の途中にありました











『鋳抜門』
奥宮の宝塔の前に建てられた銅製唐門










『奥宮御宝塔』(御墓所) 

宝塔の左側に見える茶色の幹が『叶杉』
樹齢600年の老木です






    
「御祭神家康公の神柩をおさめた宝塔であり、八角九段の基盤の上に立ち、
高さは5m。
当初は木造であったが、石造りに改められ、五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製(金、銀、銅の合金)に改鋳された。」

・・・と書かれてありました。 
   
 
 御宝塔の前面には寛永20年に朝鮮から献上された香炉、燭台、花瓶、三具足が備え付けられています。

 そして脇に立つ杉の木は、樹齢600年といわれ、なんでも願い事が叶う『叶杉』と呼ばれているそうです。







『鼓楼』の横にある
オランダから贈られた「吊り灯籠」

  「鐘楼」と「鼓楼」それぞれの脇には、オランダや朝鮮から贈られた青銅製の「鐘」や「燈籠」が飾られており、その屋根の四隅には、「想像の象」が飾られています。










『鐘楼』の前にある
オランダから献上された「蓮灯籠」
朝鮮から献上された「朝鮮鐘」

  「鐘楼」と「鼓楼」は一対になっていて、ほとんど見分けがつきませんが、実際には「鐘楼」の方が大きく「格」も上のようです。








   本尊が薬師瑠璃光如来(薬師如来)であることから「薬師堂」、また乱世を鎮めた家康公が薬師如来の生まれ変わりと考えられたので、本来の仏(本地)をまつったことから「本地堂」と呼ばれているそうです。

 本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれているのが、有名な『鳴き龍』で、龍の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえます。もとの絵は狩野永真安信の筆によるものですが、火災により焼失したため、復元されたものとのこと。内部は撮影禁止でしたが、『鳴き龍』の声はしっかりと耳と心に刻んできました。
    
 

 









本地堂(薬師堂)の『鳴龍』










『陽明門』裏側の右から2番目の柱は
『魔除けの逆柱』

グリ紋の向きが逆で、「完成した瞬間から
崩壊が始まる。」という古事からわざと
未完成の部分を残しているそうです…!











『眠り猫』
名匠、左甚五郎の作と伝えられる国宝
















 
『廻廊』は『陽明門』の左右に延びる建物で
外壁には国内最大級の花鳥の彫刻があります。

 

 




『輪蔵』 (経蔵)





     
      あらたふと 青葉若葉の 日の光
                         芭蕉

ああ、尊いことだ。日光のお山は今、初夏の陽光がさんさんとふりそそぎ、全山うっそうたる青葉若葉があざやかに照り映えて、まことに荘厳なことだ。

    元禄二年(1649)、芭蕉46歳の時の句です。
    

 

 



これらの写真は2008年9月に、日光を訪れた時のものです。先のページ(1)では、『三猿』のことばかり書いてしまいましたが、その他にも貴重な写真があったので、こちらのページに整理しました。
他にも「逍遥園」や「大猷院廟」という徳川三代将軍家光公の墓所、「輪王寺」、「二荒山神社」や奥の化燈籠などなど、沢山の写真がありますが、ページの容量の関係で割愛しました。