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長崎26聖人殉教の地   January 2010
 



     


 

   坂道の多いという長崎の中でも、とくに狭くてうねるような急峻な坂を上っていくと、澄み切った青空に鮮やかに映えるような二本の尖塔が見えてきます。
 どこかで見たことのあるような不思議な形をしています。二本の手が天に向かって差しのべられているような…。

それもそのはず、この教会の設計を手掛けたのは、スペインのアントニオ・ガウディやルドルフ・シュタイナーを日本に紹介した今井兼次でした。(元早稲田大学教授) 彼が、ガウディの傑作『サグラダ・ファミリア』のデザインに深い影響を受けたことが、この設計からもうかがわれます。

この教会は通称「聖フィリッポ西坂教会」といい、その正式名称は「日本二十六聖人記念聖堂、 聖フィリッポ教会」です。この名は、殉教者の一人フェリペ・デ・ヘススにちなんだものだとのこと。
 
表面に貼ってある陶片は、日本各地から集めたり、スペインやメキシコの陶芸家から送られた陶器を割ったもので、独特の手作りな感覚がいかされています。

そして、この二本の尖塔は、一つが天からの恩恵、もう一つが人間の祈りを表しているそうです。
 








 


































同じ今井兼次の設計になる隣接した「26聖人記念館」
その側面にも、同様のカラフルな陶器を用いて
描かれた壁画があります。 

             

 
長崎26聖人殉教の地















 
     日本26聖人殉教地

慶長元年12月19日(1597年2月5日)6名の外国人と20名の日本人が、豊臣秀吉のキリシタン禁令のため、大阪・京都で捕えられ、長崎に護送され、長崎の町に面したこの地で処刑されたのである。

この26名の殉教の出来事は、ヨーロッパその他に広く伝わり、文久2年(1862)ローマ教皇は、盛大な祭典をローマで行い26名の殉教者を聖人に列し、「日本26聖人」と称せられたのである。

 
長崎市教育委員会

 




















26人の中に背の低い3人の少年が混じっており、一番奥(右側)が最年少12歳のルドビコ茨木です。


・・・このレリーフは、岩手出身の彫刻家、舟越保武の作品です。彼は、長男が生後間もなく他界して以来、洗礼を受け、熱心なカトリック信者として、信仰を題材にした作品を次々と世に発表しました。
「聖クララ」、田沢湖畔の「たつこ像」なども有名です。

 








  




細川ガラシャ夫人