天竜寺は、嵐山の近く、洛西大堰川(おおいがわ)の北に位置した臨済宗天竜寺派の大本山で、京都五山の第一位とされています。
この天竜寺は、暦応2年(1339)に吉野で崩御された後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏によって創建され、夢窓疎石(国師)を開山(初代住職)としました。後醍醐天皇が幼少期を過ごした亀山殿の地に建てられています。
後醍醐天皇は「建武の新政」を始め、足利尊氏はそれに反旗をひるがえした人物です。そして後醍醐天皇は足利討伐の命を出しました。
すなわち、この寺は南北朝動乱における「政敵=かたき同士」である後醍醐天皇と足利尊氏の「怨を解消する」という夢窓国師の進言により建立されたとでもいえるでしょうか。そしてその費用をまかなうために元に天竜寺船を派遣しました。夢想疎石はまた、戦没者を弔うために、尊氏に働きかけて全国に安国寺や利生塔を建立させています。
苔寺として知られる「西芳寺」の『枯山水』様式も、この夢窓国師が造成しました。
そしてここ天竜寺の「曹源池庭園」もまた、同様の『枯滝石組』をもつものとなっています。これらは、、平安時代を風靡した『浄土庭園』とは一線を画するもので、禅思想の象徴であり、国師のめざした理想郷が凝縮されているようです。
ここもまた1994年に『古都京都の文化財』という名称で、ユネスコの世界文化遺産として登録された寺院の一つです。