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鳳来山東照宮       February 2010



東照宮とは、徳川家康こと、東照大権現を祀る神社です。その東照宮といえば、有名なのが「日光東照宮」。ところがなんと全国には約130もの東照宮があるそうです。
そのうち、それらを代表する「日本三大東照宮」が
日光東照宮
久能山東照宮
そして、この鳳来山東照宮…とのこと。

(勿論、その他にもこの第三番目を名乗る他の東照宮の説もいくつかあるようですが…)

ここ奥三河の鳳来山には、その鳳来山東照宮があります。この東照宮縁起には、「家康公の父君広忠公が、良い世継ぎを得たいと思われ、北の方(於大の方)とともに鳳来寺に参篭し祈願したところ その効あって家康が授かった」と記されています。
3代将軍・徳川家光が日光東照宮を訪れた際に、東照宮縁起を目にし感銘を受けて、鳳来寺山東照宮の建立を発願したと言われています。
そして出来上がったのは、4代将軍の家綱の代、慶安4年(1657年)で、江戸時代の建築法を残す貴重なもので重要文化財とされています。








鳳来寺本堂












鐘楼堂


 



鳳来寺


 




東照宮への階段を…





 




東照宮へ


 




鳳来山東照宮



 




東照宮



 




東照宮




 







 




鳳来寺山の一本松と鏡岩(右手)




 

 







 江戸幕府の初代将軍徳川家康は、1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去。
 遺言どおりに久能山に埋葬された。
 その際に、家康の神号をどうするかが問題となり、以心崇伝と南光坊天海が対立。
 崇伝は「明神」を主張し、天海は「権現」を主張したが・・・
 「明神」は豊臣秀吉の豊国大明神と同じとなり、豊臣家と同じ末路になるという天海の主張が受け入れられ、徳川秀忠の裁定により「権現」となったのだという。翌年、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。



     〜徳川家康の遺言〜

 『徳川実紀』によると・・・

 1616年(元和2年)4月2日、徳川家康は側近の崇伝・天海・本多正純を呼んで、次のように遺言したのだという。

●遺体は久能山に埋葬すること。

●葬儀は江戸の増上寺で行なうこと。

●位牌は三河国の大樹寺に納めること。

●下野国の日光山に小堂を造営すること。

●京都の南禅寺の金地院に小堂を造営すること。


  東照大権現〜徳川家康を祀る東照宮

 

 

   徳川家康 出生ゆかりの名刹 鳳来寺

鳳来寺は1300年前に、利修仙人によって開かれ、大宝三年(703年)に、文武天皇から 鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えている。
以来、深い信仰圏を持って栄え、源頼朝も厚く信仰し、七堂伽藍を寄贈し、最盛期を迎えた。
特に子授けの薬師如来像として評判高く、天平文化の華、光明皇后、浄瑠璃の主人公となった浄瑠璃姫も授かり人と伝う。
松平広忠夫妻が天下人となる男子をと祈願して、授かったのが徳川家康であったという。
現在は真言宗五智教団の本山で、本堂は昭和49年に再建されている。

       ≪案内書≫

 




ちょっと風変わりな可愛い狛犬です




 




開山堂

鳳来寺本堂の裏手にあります


 









 









 









 












奥三河の鳳来寺山には、「役の行者」(えんのぎょうじゃ)の別名、利修仙人の言い伝えが残っているそうです。
この古い鳳来寺の右手の崖を少し登ってみると…



 






 




崩れかけた石段の上に何やら仏像のようなものが…


 




役の行者(えんのぎょうじゃ)
それとも、利修仙人?

(両者を同一とみなす説と、別とみなす説あり)

 

利修仙人は、570年に山城の国、今の京都に生まれたとされています。
鳳来寺山の北西の岸壁の下の岩窟に、仙人が護摩を焚いて修業をしたという所があり、今でも石像が祀られていて、地元では仙人様と呼んでいるそうです。それが今回遭遇したこの石像なのか定かではないのですが…。でも、…おそらくそうだと思います。
ちなみに鳳来寺の正式名は、煙巌(えんがん)山鳳来寺といいます。煙巌というのは、利修仙人の焚く護摩の煙が絶えない厳(いわ)という意味だそうです。
また鳳来とは、鳳凰が舞い来るという意味を持っています。昔、この山に大きな桐の木があって、この山を桐生山と言っていました。この木に鳳凰がやってきて住みつき、利修仙人がこれに乗って自在に飛び回ったと言われているそうです。









小さな赤塗りの橋を渡ると
沢山の石仏が並ぶ不思議な空間が…




 
 





山頭火 (種田山頭火)の作

鳳来寺本堂前に掲げてありました。

 
      
      山頭火 献詠

  トンネルいくつ
    おりたところが 木の芽の雨
  ここからお山の さくら まんかい
  たたずめば 気しんしんせまる
  春雨の石仏 みんな濡れたまふ
  石段のぼりつくして
  ほっと水をいただく
  人声もなく散りしいて 白椿(薬師院)
  霧雨のお山は 濡れてのぼる
  お山しづくする 真実不虚(ふこ)
  山の青 大いなる御佛おはす
  水があふれて 水が音たてて しづか
  山霧のふかくも 苔の花
  ずんぶりぬれて ならんで
  石佛たちは
  水が龍となる頂ちかくも
  水音の千年万年ながるる
  石だん一だん一だんの水の音
  雨斉れるより お山のてふてふ

  漂白の俳頭陀 山頭火

  昭和14年4月22日 
  当山に拝登して賦吟で詒せり


   

 


  この奥三河は、家康ゆかりの地であり、はからずも、鳳来山東照宮を訪ね、その後、家康誕生の地、岡崎城を訪ねることとなりましたが、その途中にふと立ち寄った素敵なカフェ・レストランは「アンダンテ」という名前でした。そこの優しい気さくなマダムに、この額のサインは誰のかと尋ねると、
「私の姪っ子の、上野樹里です!」
…ということでした。

樹里さんのお父さんが、この方のお兄さんにあたるとのこと。樹里さんは今、NHKの大河ドラマで、「江〜姫たちの戦国〜」の主人公を演じていますが、そのお江は、家康に見初められ、徳川幕府二代将軍秀忠の奥方になった人ですね。
そのゆかりの地出身だとは・・・!

 とってもオシャレなカフェでした。店内の写真を記念に撮れば良かったと後悔しきり…。



 




「お江」のサインです

(女優の上野樹里さん筆)