♪ 小さな私塾の先生から見た子ども達、風景、異文化の世界 ♪
花と光と風と…
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久能山東照宮         February 2010





伊豆の穏やかな青い海









河津ザクラ

2月初旬から咲き始めます


 




河津桜




 





日本三大東照宮とは?






  2月の穏やかな伊豆の海に心癒やされながら、そして河津ザクラの華やかな美しさを愛でながら、一路、久能山に向かいました。
 いよいよ久能山東照宮に登ります。
ルートは2つ。一つは日本平(にほんだいら)の頂上まで車で行き、そこからロープウェイで久能山の頂上にある久能山東照宮の境内に行く方法。
もう一つは、久能山のふもとまで車で行き、駐車してそのふもとから徒歩で1159段の石段を登って行く方法です。私は後者を選びました。
 雨が降ったりやんだりの曇り空でしたが、長いドライブ続きだった私とって長い石段登りは、格好の運動になりました。

 久能山はかの徳川家康が、その遺言に従い、最初に埋葬された所です。(その一年後には、遺言通り、日光に移されました。)

石段の数1159には文字があたえられ、
「いちいちご苦労さん」と言われるそうです。
 






「拝殿」「社殿」
 



 
 




「楼門」(ろうもん)







「東照大権現」

御水尾天皇の直筆の扁額(へんがく)
勅額御門とも呼ばれます

 




「拝殿」




 









 




「久能山東照宮 鳥瞰図」









「表参道」の石段へ…
 




立派な石段が1159段続きます




 




上から見下ろすと見事なつづら折り…




 




古い石段と大きな老木が
見事に調和して美しい…



 




「勘介井戸」

山本勘介(勘助)が掘った井戸と書いてあります







銘木 八房梅

家康が愛賞したという梅





 




30mもあった「五重塔」の跡
明治の「廃仏毀釈」で御取壊し…
明治初期、全国に吹き荒れた
廃仏毀釈の嵐とその爪痕
…本当に心が痛みます

廃仏毀釈とは

 



「日枝神社」側から「拝殿」を望む








実割梅

家康公 駿府ご在城の時
御手植実木
樹齢370年余り
 




「石の間」




 









 




「南門」

この奥40段を登ると神廟です



 




「神廟」

家康公の遺命に従い、西向きに建てられています

西方には、鳳来寺、歴代将軍の位牌が納められている
大樹寺、家康が生まれた岡崎城があります。

 


      「金の成る木」のいわれ

        …(略)
 
家康公が諸人たちに「金の成る木」を問わせられた。これには誰も知らず、公は自ら筆を把られて三本の木を描き、「よろず程のよ木」、「志ひふかき(慈悲深き)」「志やうぢ木(正直)」と書かれて、これを常々信用すれば、必ず富貴を得られようと仰せられた。

 のち細川三斉忠興公が、これに左右の枝にとお添え遊ばしてはとなり、「あさお木(朝起き)」、「いさぎよ木」、「志んぼうつよ木」、「ゆだんな木」、「ようじょうよ木(養生)」、「かないむつまじ木」と。

 左右の枝が繁盛するならば一段と富貴を得られよう。「皆皆この「金の成る木」を写し取って家内のものに教えるようにと命ぜられたという。
 …
 

境内の杉の前にあった案内書き

 



「家康公 御手形」
38歳

身長 155cm  体重 60kg
天正8年11月2日 家康



 



「神庫」



 
 



「唐門」







「神楽殿」