♪ 小さな私塾の先生から見た子ども達、風景、異文化の世界 ♪
花と光と風と…
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『アイヌ神謡集』 知里 幸恵 


 
 梟(フクロウ)の神の自ら歌った謡
   Kmuichikap kamui yaieyukar
  
  「銀の滴 降る降る まわりに、
  金の滴 降る降る まわりに」

  という歌を私は歌いながら
  流に沿って下り、人間の村の上を
  通りながら下を眺めると
  昔の貧乏人が今お金持ちになっていて、
  昔のお金持ちが、
  今の貧乏人になっている様です




 
 これは、幸恵の「カムイユカラ」の最初におさめられたフクロウのカムイのユカラの冒頭の部分です。
       
  (知里幸恵 銀のしずく記念館)





 

    知里 幸恵 (ちり ゆきえ)
      (1903〜1922)

 登別に生まれ幼少期を過ごし、その後、旭川に移り叔母や祖母と共に暮らしました。
 国語学者、金田一京介に言語の才能を認められ、アイヌの口承物語を初めて文字化した
『アイヌ神謡集』を書き表しました。

   知里幸恵 (Wikipedia)

 ポロトコタン白老





コタンコルクルの像

全長16m(奈良の大仏と同じ)


  この像は、和人入植より遥か昔、白老コタンの礎を築いた先駆者の偉業を偲び、それを永久に讃える為に建立したものです。

 右手に捧げているイナウ(御幣)はこの地が益々発展し、またこの地を訪れてくださる多くの方々の旅の安全と幸せをお祈りしております。

     (案内板より)



      『アイヌ神謡集』  序文

 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の
天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円(まど)かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿。おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。
 時は絶えず流れる。世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。
それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮(あけくれ)祈っている事で御座います。
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。

  大正十一年三月一日

           知里 幸恵



 




ポロチセ(大きな家)







ヘペレセツ(熊檻)と、プ(食料庫)














ポンチセ(小さな家)


 

 



伝統的な踊りや歌、楽器(ムックリ)の演奏が…


 




赤ちゃんへの子守唄


 




鮭の燻製が囲炉裏の上に…

 




囲炉裏の奥で民族衣装を作る人たち





 




伝統的な囲炉裏と調度品





アイヌ民族博物館






玄関を入ってすぐのロビーの巨大な絵画







カムイモシり (天上の神の国)






 アイヌは、日本に暮らす民族のひとつで、東北地方の北部から北海道、千島列島、樺太といった地域に古くから暮らしていました。北海道は、かつては蝦夷地と呼ばれ、そのアイヌ民族が先住した「アイヌモシリ=静かな人間の大地」です。

 アイヌのもつ自然観は、神羅万象に神々が宿り、人間もまたその自然の一部であると捉え、山に入るときには祈りをささげ、食べ物を得たら丁重に感謝を捧げるといった、自然との調和が中心でした。
 しかしながら大和民族(和人)の入植が進み、とりわけ明治に入ってから日本政府の同化政策で、多大な犠牲を強いられてきました。

 2009年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、世界に約6000語ある言語のうち、このアイヌ語を「消滅の危機にある言語」Endangered Languageの一つとして発表しました。こうして、今、ようやく本格的なアイヌ文化と言語の保存への取り組みが始まったようです。

 そのアイヌ民族初の国会議員、故・萱野茂(かやのしげる)さんは生前、アイヌの古老を訪ねて神話などを録音し、記録集「アイヌ神話集成」jを出版しました。萱野さんは1926年、北海道平取町二風谷(にぶたに)に生まれ、アイヌ語を母語として育ち、アイヌ文化の保護活動に尽力されました。1994年に参院議員となり、アイヌ文化振興法の成立に貢献しました。



 その萱野さんの生前の言葉があります。
 




     萱野茂さんの言葉    (1926〜2006)

 いまの日本やアメリカやカナダの生活はまるで天国のような素晴らしいものですが、しかしそれは非常に危うい社会です。日本ではいまなお原子力発電所を次々と作ってはいますが、あれはトイレのないマンションを作っているようなものです。終末処理も全くできていないのに、次々と原発の建設を続けているんですから、これは天に向かって唾を吐いているようなものでしょう。

 その唾が私をも含めて自分の顔に落ちてこないことを願ってはいるけれども、しかし何の保証もない。だから考えなければならないんです。30年40年前の暮らしに戻ることをね。

 電気はこれ以上に明るくならなくてもいい。そういうことをいま本気で考えなければならないときだと思います。この地球を先祖から預かって、子孫に対して無傷で渡さなければならないのに、自然の破壊ぶりはもう無茶苦茶ですよ。傷だらけどころではなく、もはや瀕死の重傷です。

 私がまだ子供のころのことですが、ある日突然お巡りさんが靴も脱がずに家の中に入ってきて、父を逮捕しました。

 そのとき父は板の間にひれ伏して、「はい、行きます」と言ったまま顔を上げない。どうしたことかと思って黙ってそばで見ていたら、板の間にポタポタ大粒の涙が落ちるんですよ。父は昔ケガをして右目がダメになっていたのに、その目玉のないほうからも涙が落ちているんです。逮捕されたのはサケを獲ってきて家族に食べさせたからです。

 私はこれまでに24回ほどパスポートが必要な旅をしていろんな少数民族の方々に会ってきましたが、主食まで奪われた民族に出会ったことはまだ一度もありません。ということは、日本ほど先住少数民族の権利を平気で奪った国はない。


…本当に、心にズシ〜ンと染みました。
萱野さんの死から5年後の2011年に
ついにこの言葉は現実になりました。

 
辻信一さんの哀悼の言葉

 




トカプチュプカムイ (太陽の神)








クンネチュプカムイ (月の神)

コタンコロカムイ (集落の神:シマフクロウ)



 



チェプコロカムイ (魚を司る神)




 


シリコロカムイ (大地を司る神)





イヨマンテ (熊の霊送り)



 
 



シマフクロの霊送り



 



エキヌネ (山猟)


 



チェプコイキ (鮭漁)



 



レパ (海漁)




 



トウレプタ (ウバユリ採り)





萱野茂さんの言葉A

  「いくら悲惨な事故が起こっても懲りずに原発をつくり続けている人たちを見ていると、神様は、あまりにもおごり高ぶって、他の生きものたちのことを何一つ考えなくなった人間を滅ぼすためにこそ、ウランのような恐ろしいものをこの世に降ろされたのではないか、と思わずにいられない。そんな私の不安が当たっていなければいいのだが・・・。」