花と光と風と…
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五稜郭の桜風景 April 2015





桜の花後の緑に囲まれた五稜郭のお堀







満開の桜に囲まれ、
桜色に染まる五稜郭タワー
本当に美しい光景です



 


  函館はかつては「箱館」と書かれていました。

 嘉永6年(1853)6月、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官M.C.ペリー提督の率いる4隻の軍艦(黒船)が江戸の浦賀に来航し、その圧力によりついに江戸幕府は、「鎖国政策」を廃止。翌年3月には、「日米和親条約」を締結し、二港を開港することを決定しました。一つは伊豆の下田、もう一つは、蝦夷地の箱館(現在の函館)でした。

 当時の箱館は、蝦夷地唯一の藩である松前藩が支配していました。幕府は日米和親条約に続き、イギリス、ロシア、翌年にはオランダとも和親条約を結び、否が応にも箱館は、国際都市としての対応を求められるようになりました。

 そうした中で、国防の意味もあり、その奉行所庁舎を現在の場所へ移転する時に、フランス軍士官の情報をもとに新しく設計したのです。それにより、ヨーロッパの城郭都市をモデルにした現在の五角形(ペンタゴン)の形:「五稜郭」となったと言われます。

 毎年5月に行われる『箱館五稜郭祭』は、北海道の函館市で行われるお祭りです。

 箱館五稜郭は、日本が江戸時代から明治時代へと移り変わる激動の時代の中で、薩摩藩や長州藩をはじめとする新政府軍と、旧幕府の勢力が戦った戊辰戦争の最終戦争の地としても知られています。

 この箱館戦争で壮絶な最後を遂げた、土方歳三や中島三郎助親子、そして数多くの志士たちの生き様と、死にざまは、今でも多くの人々の心に強く焼き付いていて、こうして毎年街をあげての「五稜郭祭」が盛り上がる原動力となっていると感じます。





 




お堀もぐるりと全面が桜色に染まります











箱館奉行所:側面












箱館奉行所:正面側






 















桜の花びらの一つ一つに
はかなく散って行った無名戦士の
尊い命を思います・・・

  






























桜の花が終わった5月17日、
恒例の『五稜郭祭』が行われました。
新撰組最後の志士、土方歳三や
旧幕府軍の中島三郎助親子が討ち死にした
旧暦5月11日に合わせて
毎年行われています。









毎年、全国から応募し、選ばれた人々により
「箱館戦争」のステージが再現されます


















 









 




リアルなキャノン砲も登場(実物大)






 




桜が終わると、
五稜郭は、赤や白のツツジや、
美しい藤棚などで彩られます








 




お堀の傍の古い大木の根元に
咲いていた桜の花

けなげで、はかない命を思います・・・