♪ 小さな私塾の先生から見た子ども達、風景、異文化の世界 ♪
花と光と風と…
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・金子みすゞ
・島崎藤村
・三好達治
・北原白秋
・谷川俊太郎 
・星野富弘
・まどみちお
・高村光太郎
・茨木のり子 



























































 
























 

































 

























 






















 







































































































































































































































































































 

















































 

























































 


































 



























 




















 












 

















 




















 




















 
























 

























 





























 










































 





































 













































 






茨城のり子 20歳





































 




























































 




























 





































 

























































    懐かしく心を満たしてくれる歌・・・


 金子みすゞ     (1903.4.11〜1930.3.10)



わたしと小鳥とすずと 
        

   わたしが両手をひろげても
   お空はちっともとべないが、
   とべる小鳥はわたしのように、
   地べたをはやくは走れない。

   わたしがからだをゆすっても、
   きれいな音はでないけど、
   あの鳴るすずはわたしのように
   たくさんなうたは知らないよ。

   すずと、小鳥と、それからわたし、
   みんなちがって、みんないい。 









ふしぎ 
        

   わたしはふしぎでたまらない、
   黒い雲からふる雨が、
   銀にひかっていることが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   青いくわのはたべている、
   かいこが白くなることが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   だれもいじらぬ夕顔が、
   ひとりでぱらりと開くのが。

   わたしはふしぎでたまらない、
   たれにきいてもわらってて、
   あたりまえだ、ということが。





 


   
星とたんぽぽ
        

   青いお空のそこふかく、
   海のこいしのそのように、
   夜がくるまでしずんでる、
   昼のお星はめにみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ。
   見えぬものでもあるんだよ。

   ちってすがれたたんぽぽの、
   かわらのすきに、だァまって、
   春のくるまでかくれてる、
   つよいその根はめにみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ。
   見えぬものでもあるんだよ。 








はちと神さま
        

   はちはお花のなかに、
   お花はお庭のなかに
   お庭は土べいのなかに
   土べいは町のなかに
   町は日本のなかに
   日本は世界のなかに

   世界は神様のなかに
   そうして、そうして、神さまは、、
   小ちゃなはちのなかに。
        







みえない星



   空のおくには何がある。
   空のおくには星がある。
   星のおくには何がある。
   星のおくにも星がある。
   めには見えない星がある。

   みえない星はなんの星。
   おともの多い王様の、
   ひとりのすきなたましいと、
   みんなに見られたおどり子の、
   かくれていたいたましいと。









明るい方へ


  明るい方へ
  明るい方へ。

  一つの葉でも
  陽(ひ)の洩(も)るとこへ。
  やぶかげの草は。

  明るい方へ
  明るい方へ。

  はねはこげよと
  灯(ひ)のあるとこへ。
  夜とぶ虫は。
 
  明るい方へ
  明るい方へ。
 
  一分もひろく
  日のさすとこへ。
  都会(まち)に住む子らは。










  お花がちって
  実がうれて、

  その実が落ちて
  葉が落ちて、

  それから芽(め)が出て
  花がさく。

  そうして何べん
  まわったら、
  この木はご用が
  すむかしら。








土と草


   かあさん知らぬ
   草の子を、
   なん千万の
   草の子を、
   土はひとりで
   育てます。

   草があおあお
   しげったら、
   土はかくれて
   しまうのに。









花のたましい


  ちったお花のたましいは、
  みほとけさまの花ぞのに、
  ひとつのこらずうまれるの。

  だって、お花はやさしくて、
  おてんとさまがよぶときに、
  ぱっとひらいて、ほほえんで、
  ちょうちょにあまいみつをやり、
  人にゃにおいをみなくれて、

  風がおいでとよぶときに、
  やはりすなおについてゆき、

  なきがらさえも、ままごとの
  ごはんになってくれるから。







 島崎藤村       (1872.3.25〜1943.8.22)

   
小諸なる古城のほとり
 

   小諸なる古城のほとり                  
   雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 
   緑なすはこべは萌えず
   若草も藉くによしなし
   しろがねの衾の岡辺
   日に溶けて淡雪流る
 
   あたゝかき光はあれど
   野に満つる香も知らず
   浅くのみ春は霞みて
   麦の色わづかに青し
   旅人の群はいくつか
   畠中の道を急ぎぬ

   暮れゆけば浅間も見えず
   歌哀し佐久の草笛
   千曲川いざようふ波の
   岸近き宿にのぼりつ
   濁り酒濁れる飲みて
   草枕しばし慰む








 三好達治       (1900.8.23〜1964.4.5)
 

        甃(いし)のうへ


あはれ花びらながれ

をみなごに花びらながれ

をみなごしめやかに語らひあゆみ

うららかの跫音(あしおと)空にながれ

をりふしに瞳をあげて

翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり

み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ

廂々(ひさしひさし)に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば

ひとりなる

わが身の影をあゆまする甃のうへ







 北原白秋      (1885.1.25〜1942.11.2)

 
   
落葉松


   一
 
     からまつの林を過ぎて、
     からまつをしみじみと見き。
     からまつはさびしかりけり。
     たびゆくはさびしかりけり。

   二
                
     からまつの林を出でて、
     からまつの林に入りぬ。
     からまつの林に入りて、
     また細く道はつづけり。

   三
 
     からまつの林の奥も
     わが通る道はありけり。
     霧雨のかかる道なり。
     山風のかよふ道なり。

   四
 
     からまつの林の道は、
     われのみか、ひともかよひぬ。
     ほそぼそと通ふ道なり。         
     さびさびといそぐ道なり。

   五
 
     からまつの林を過ぎて、
     ゆゑしらず歩みひそめつ。 
     からまつはさびしかりけり、 
     からまつとささやきにけり。

   六
            
     からまつの林を出でて、  
     浅間嶺にけぶり立つ見つ。 
     浅間嶺にけぶり立つ見つ。 
     からまつのまたそのうへに。

   七
            
     からまつの林の雨は     
     さびしけどいよよしづけし。 
     かんこ鳥鳴けるのみなる。  
     からまつの濡るるのみなる。

   八
           
     世の中よ、あはれなりけり。 
     常なれどうれしかりけり。  
     山川に山がはの音、     
     からまつにからまつのかぜ。







 谷川俊太郎      (1931.12.15〜   )


生きる


   生きているということ
   いま生きているということ
   それはのどがかわくということ
   木もれ陽がまぶしいということ
   ふっと惑るメロディを思い出すということ
   くしゃみをすること
   あなたと手をつなぐこと

   生きているということ
   いま生きているということ
   それはミニスカート
   それはプラネタリウム
   それはヨハン・シュトラウス
   それはピカソ
   それはアルプス
   すべての美しいものに出会うということ
   そして
   かくされた悪を注意深くこばむこと

   生きているということ
   いま生きているということ
   泣けるということ
   笑えるということ
   怒れるということ
   自由ということ

   生きているということ
   いま生きているということ
   いま遠くで犬が吠えるということ
   いま地球が廻っているということ
   いまどこかで産声があがるということ
   いまどこかで兵士が傷つくということ
   いまぶらんこがゆれているということ
   いまいまが過ぎてゆくこと

   生きているということ
   いま生きているということ
   鳥ははばたくということ
   海はとどろくということ
   かたつむりははうということ
   人は愛するということ
   あなたのてのぬくみ
   いのちということ










  また朝が来てぼくは生きていた
  夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
  柿の木の裸の枝が風にゆれ
  首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

  百年前ぼくはここにいなかった
  百年後ぼくはここにいないだろう
  当たり前の所のようでいて
  地上はきっと思いがけない場所なんだ

  いつだったか子宮の中で
  ぼくは小さな小さな卵だった
  それから小さな小さな魚になって
  それから小さな小さな鳥になって
  それからやっとぼくは人間になった
  十ヶ月を何千億年もかかって生きて
  そんなこともぼくら復習しなきゃ
  今まで予習ばっかりしすぎたから

  今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
  ぼくに人間とは何かを教える
  魚たちと鳥たちとそして
  僕をころすかもしれぬけものすら
  その水をわかちあいたい







二十億光年の孤独 
   
                  
   人類は小さな球の上で
   眠り起きそして働き
   ときどき火星に仲間を欲しがったりする

   火星人は小さな球の上で
   何をしているか 僕は知らない
   (或いはネリリし キルルし ハララしているか)
   しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
   それはまったくたしかなことだ

   万有引力とはひき合う孤独の力である
   宇宙はひずんでいる
   それ故みんなもとめ合う

   宇宙はどんどん膨らんでゆく
   それ故みんなは不安である

   二十億光年の孤独に
   僕は思わずくしゃみをした






成人の日 


   人間とは常に人間になりつつある存在だ
   かつて教えられたその言葉が
   しこりのように胸の奥に残っている

   成人とは人に成ること もしそうなら
   私たちはみな日々成人の日を生きている

   完全な人間はどこにもいない
   人間とは何かを知りつくしている者もいない
   だからみな問いかけるのだ
   人間とはいったい何かを
   そしてみな答えているのだ その問いに
   毎日のささやかな行動で

   人は人を傷つける 人は人を慰める
   人は人を怖れ 人は人を求める
   子供とおとなの区別がどこにあるのか
   子供は生まれ出たそのときから小さなおとな
   おとなは一生小さな子ども

   どんな美しい記念の晴れ着も
   どんな華やかなお祝いの花束も
   それだけではきみをおとなにはしてくれない

   他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
   自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
   でき上がったどんな権威にもしばられず
   流れ動く多数の意見にまどわされず
   とらわれぬ子どもの魂で
   いまあるものを組み直しつくりかえる

   それこそがおとなの始まり
   永遠に終わらないおとなへの出発点
   人間が人間になりつづけるための
   苦しみと喜びの方法論だ







学ぶ


  あなたは学ぶ
  空に学ぶ
  空はすでに答えている
  答えることで問いかけてる

  わたしは学ぶ
  土に学ぶ
  隠された種子の息吹
  はだしでふみしめるこの星の鼓動

  あなたは学ぶ
  木に学ぶ
  人から学べぬものを
  鳥たちけものたちとともに学ぶ

  わたしは学ぶ
  手で学ぶ
  石をつかみ
  絹に触れ水に浸し火にかざし
  愛する者の手を握りしめて

  あなたは学ぶ
  目で学ぶ
  どんなに見開いても見えぬものが
  閉じることで見えてくること

  わたしは学ぶ
  あなたから学ぶ
  わたしとは違う秘められた傷の痛み
  わたしと同じささやかな日々の楽しみ

  わたしたちは学ぶ
  本からも学ぶ
  知識と情報に溺れぬ知恵
  言葉を超えようとする言葉の力を

  そうしてわたしたちは学ぶ
  見知らぬ人の涙から学ぶ
  悲しみをわかちあうことの難しさ

  わたしたちは学ぶ
  見知らぬ人の微笑から学ぶ
  喜びをわかちあうことの喜びを







        あい


あい  口で言うのはかんたんだ

愛  文字で書くのもむずかしくない

あい  気持ちはだれでも知っている

愛  悲しいくらい好きになること

あい  いつでもそばにいたいこと

愛  いつまでも生きてほしいと願うこと

あい  それは愛ということばじゃない

愛  それは気持ちだけでもない

あい  はるかな過去をわすれないこと

愛  見えない未来を信じること

あい  くりかえしくりかえし考えること

愛  いのちをかけて生きること







みち 1


   みちのはじまりは
   くさのなかです
   みちのはじまりは
   ちいさなけもののあしあとです

   つりがねそうのくきがおれて
   ふまれて
   ゆうだちにうたれて
   またくものあいだから
   おひさまがかおをだします

   みちのはじまりは
   あしおともなく
   しんとしています






 星野富弘      (1946.4.24〜   )


   たんぽぽ


 いつだったか
 きみたちが 空をとんで行くのを見たよ
 風にふかれてただ一つのものを持って
 旅する姿が
 うれしくってならなかったよ
 人間にとってどうしても必要なものは
 ただ一つ
 私も余分なものを捨てれば
 空がとべるような気がしたよ






    菊


よろこびが集まったよりも
悲しみが集まったほうが
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まったほうが
真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まったほうが
愛に近いような気がする






   悲しみの意味


冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく







   竹


竹が割れた
こらえにこらえて倒れた
しかし竹よ その時おまえが
共に苦しむ仲間達の背の雪を
払い落しながら倒れていったのを
私は見ていたよ

ほら倒れているおまえの上に
あんなに沢山の仲間が
起き上っている






   美しい今


暗く長い
土の中の時代があった
いのちがけで
芽生えた時もあった
しかし草は
そういった昔を
ひとことも語らず
もっとも美しい
今だけを見ている








 まどみちお      (1909.11.16〜   )



   まいねんの ことだけれど
   また おもう

   いちどでも いい
   ほめてあげられたらなあ・・・と

   さくらのことばで
   さくらに そのまんかいを・・・




*「結局はわからない、理解しあえない」ということを
  胸底にとどめ、それでも、わかりたい、伝えたいと願う。
  わかろうと、伝えようとし続ける
  …それは、人と付き合ううえでも、また人間以外のもの
  たちに対するときにも、忘れてはならないことなのかも
  しれない。
                    
  ( 『いわずにおれない』まどみちお )







 高村光太郎     (1883.3.13〜1956.4.2)


    道程 

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため
この遠い道程のため







  

    あどけない話


智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。







     レモン哀歌


そんなにも あなたはレモンを待ってゐた
悲しく 白く 明るい 死の床で

私の手から取った一つのレモンを
あなたの綺麗な歯ががりりとかんだ

トパアズ色の香気がたち
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ目がかすかに笑ふ
私の手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの喉に嵐はあるが
かふいふ命の瀬戸際に

智恵子は元の智恵子となり
生涯の愛を一瞬に傾けた

それからひととき

昔さんてんでしたような深呼吸を一つして
あなたの器官はそれなり止まった

あなたの青く澄んだ目がかすかに笑ふ
私の手を握るあなたの力の健康さよ

写真の前にさした桜の花影に
涼しく光るレモンを今日も置かふ








    報告(智恵子に)


日本はすつかり変りました。

あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
 
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。

あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄のの中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外にひ、
あなたの頭をこはしました。

あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。







      案内


三畳あれば寝られますね。

これが小屋。
これが井戸。

山の水は山の空気のように美味。
あの畑が三畝(うね)、
今はキャベツの全盛です。

ここの疎林(そりん)がヤツカの並木で、
小屋のまわりは栗と松。

坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突き当りの辺が
金華山(きんかざん)沖ということでせう。

智恵さん気に入りましたか、好きですか。

後ろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。

智恵さん こういうところ好きでせう。


*智恵子の死後、11年目。  
岩手の花巻近郊にある山小屋で一人過ごした晩年の詩。





 


 茨木のり子       (1926.6.12 - 2006.2.19)


    きらりと光るダイヤのような日


短い生涯、とてもとても短い生涯
60年か、70年の

お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
コックはパイをどれくらい焼くのだろう。
教師は同じことをどれくらいしゃべるのだろう。

子供達は地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる。

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたり、もっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりにも少なかったことに驚くであろう。
指折り数えるほどしかない
その日々のなかのひとつには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう。

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う。
きらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ。


*「3年B組金八先生」で紹介されましたね。







わたしが一番きれいだったとき


   わたしが一番きれいだったとき
   街々はがらがら崩れていって
   とんでもないところから
   青空なんかが見えたりした

   わたしが一番きれいだったとき
   まわりの人達が沢山死んだ
   工場で 海で 名もない島で
   わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

   わたしが一番きれいだったとき 
   だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
   男たちは挙手の礼しか知らなくて
   きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの頭はからっぽで
   わたしの心はかたくなで
   手足ばかりが栗色に光った
  
   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの国は戦争で負けた
   そんな馬鹿なことってあるものか
   ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

   わたしが一番きれいだったとき
   ラジオからはジャズが流れた
   禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
   わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

   わたしが一番きれいだったとき
   わたしはとてもふしあわせ
   わたしはとてもとんちんかん
   わたしはめっぽうさびしかった

   だから決めた できれば長生きすることに
   年とってから凄く美しい絵を書いた
   フランスのルオー爺さんのように  ね


*昭和20年8月15日、世界大戦の終結=日本の敗戦を、
 茨木さんは数え年20歳で迎えました。
 この詩は、茨木さん31歳の時の詩。
 終戦間も無い日の自身を追想して書かれたもの。








   自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
 
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分でまもれ
ばかものよ








     よりかからず 


もはや
できあいの思想にはよりかかりたくない

もはや
できあいの宗教にはよりかかりたくない

もはや
できあいの学問にはよりかかりたくない

もはや
いかなる権威にもよりかかりたくない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある
よりかかるとすれば

それは
椅子の背もたれだけ








    汲む
       −Y.Yにー


大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちていくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです



*「Y.Y」とは、女優の山本安英。昭和22年に出会って以来、
  長い親交をもったという。