松島の円通院 2008 |

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日本最古の洋バラの寺
瑞巌寺の手前にひっそりと佇むこの円通院は、仙台藩初代藩主の伊達政宗公の孫にあたる光宗の霊廟として建てられました。
私がこの円通院に来たかったのは、この寺には日本最古の洋バラがあると聞いたからでした。もちろん、ノイバラをはじめ日本に古来から自生する原種は数種類ありましたが、江戸初期に支倉六右衛門常長がこのバラをローマから持ち帰り、この庭園に移植したというのです。 そのローマの象徴といわる『日本最古の洋バラ』をはじめオールド・ローズが沢山ある通称「バラ寺」と聞き、そのバラを一目見ようとやってきたのです。
けれどそこには、知られざる悲しい歴史が刻まれていました。19歳の若さで非業の死を遂げたわが子を悼み、二代藩主がいつくしんだ美しい庭園には、悲しいまでの親心がいたる所に感じられました。
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円通院
「光宗君は徳川家康公の嫡孫で幼少の頃より文武に優れ、その才智は政権安定に力を注いでいた徳川幕府にとって恐るべき逸材であった。
光宗君は江戸城内において19才という若さで卒し、その死因に関して毒殺説と病死説が伝えられている。
霊屋は光宗君の死を悼んだ二代藩主忠宗公によって建立されたもので、厨子の中には白馬に跨る衣冠束帯の光宗君の像と殉死された七人の像が祀られている。壮麗な厨子の図案は支倉六右衛門常長が西欧から持ち帰った様々な文化を模様として描き、当時鎖国制度を施行していた徳川幕府に対しては、伊達家の霊廟として申し立て、その扉は開けることはなかったと言われる。
その為、三世紀半もの間公開されずに現在に至った伊達藩の秘蔵である。」
(境内の資料より)
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水圧で無限に回転する大理石の玉
命の流転を願うかのよう・・・
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大悲亭
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大悲亭の前庭
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霊廟 |
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仏教では棘のあるバラは無縁ですが、
支倉が持ち帰ったバラが丹念に描かれています
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水仙はイタリアのフィレンツェを表わす花
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徳川家康の曾孫にあたるため、
徳川家の葵の紋を描いたが
実際にはスペード模様が描かれている
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皇族の紋を細かいダイヤの形で
囲み模様として描いている
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ハートの形が銅版の部分に逆さまに
模様として彫られている
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クローバーが丹念に手書きで描かれている
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切支丹弾圧時代にローマに行った証として
真っ直ぐに十字架を描かず斜めにつなぎ合わせ
ひし形が目立つように金箔が塗られている
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ヤマジノホトトギス
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ダイモンジソウ
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庭園には、人生の幼年期・壮年期・老年期の三段階を表わすように、三段階の石畳が貼られててありました。
(案内書きより)
嫡子であった光宗君が、あの世でも無事に立派に人としての成長を遂げてほしいという悲しいまでの親心がうかがわれます。
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