出雲大社 2009 |
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境内には年の瀬なのに、桜の花が…
きれいなピンク色に染まって

宇迦橋のたもとに立つ大鳥居
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母方の曾祖父が島根の松江出身ということもあり、かねてから是非訪れたいと願っていた出雲…。
ついに念願がかなう時が来ました。
日本人でありながらそのルーツともいえる神道にあまりご縁がなく過ごしてきた私でしたので、これを機会にもう少し掘り下げて学んでみたい気持ちになってきていました。
学生時代に読んだイザヤ・ベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」や、ルーズ・ベネディクトの「菊と刀」、中根千枝の「タテ社会の人間関係」などの日本人論が蘇ってきました。(これらが直接、神道と関わりがなかったとしても・・・。)
長い日本の歴史の中に浸み込んだ、固有の文化の背後にある宗教観、自然観、人間観というものを見直してみたい気持ちが湧いて来たのです。
日本人特有の「本音」と「建前」、「ウチ」と「ソト」、人間関係にみるうちなる「甘えの構造」云々…をまた考えるきっかけが欲しかったのかもしれません。
そのこととは別に、この出雲大社の御祭神である大国主命の『国譲り神話』の別の側面を少し学んだ気がします。全くの門外漢の私の見解ゆえ、多少の独断と偏見をお許しください。
何故、国津神(大国主命)が天津神(アマテラス、大和朝廷)に出雲国を譲ったのか。
「・・・時に海を照らして依り来る神あり・・・」この表現は、隣国から海を渡ってきた集団があったということ。その集団はより強大で賢く、軍事力も備えていたとしましょう。そして地方の一豪族の長である大国主命に「城明け渡し」を迫ります。拒めば一族もろとも滅ぼされてしまう。男の意地とプライドをかけて戦いを挑み、主権を守りぬく為最後まで闘うか、またはそのプライドと意地を捨て去ってでも、愛する一族、臣下、人民のために降伏し、平和裏に主権を移譲するか。そのギリギリの瀬戸際に立たされたに違いありません。そしてついに平和なる明け渡し=「国譲り」の道を選んだ。それは愛ゆえの決断だったのでしょう。
・・・そんなことに思いをめぐらせた一日でした。
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祓いの橋=太鼓橋

樹齢数百年の松並木
この並木により参道が三列に分けられています
かつては中央の参道は神職、皇族のみ
今は誰でもOKです
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出雲大社末社 祓社 (はらいのやしろ)
御祭神
瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)
速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)
由緒
この四柱の神を『祓戸(はらいど)の神』と申し
私たちが知らぬうちに犯した心身の
罪汚(けがれ)を祓い清めて
清々しくしてくだされ、
神の御心を頂けるようにしてくださる
神です
(案内板より)
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拝殿の大注連縄(おおしめなわ)
長さ8m、重さ1.5トン

神楽殿の大注連縄 (日本最大級)
長さ13m、重さ4.5トン
一般の神社の注連縄とは逆向きです!
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御仮殿 (拝殿は平成の大遷宮中)

人物と比べると大きさが分かります
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『幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』
時に海を照らして依り来る神あり
吾在るに由りてのゆえに汝その国造りの大業を建つるを得たり
吾は汝が幸魂奇魂なりけりと知りぬ
古事記また日本書紀に述べるところであります。出雲大社の御祭神大国主命は、この幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)の「おかげ」をいただいて神性を養われ、「ムスビの大神」となられました。生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ縁結びの神様″と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビのみたま″をわが身にいただいて、霊止すなわち人として生かされているからであります。大神からいただいたこのいのち″を感謝して大切にこれを生かしきりましょう。
出雲大社ではこの御神教にちなんで
さきみたま くしみたま
まもりたまひ さきはへたまへ
と唱して御神縁を祈念いたします。
この「ムスビの御神像」は大国主大神が有難く幸魂奇魂を拝戴される由縁を象徴しております。
(石の案内板より全文掲載)
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大黒様(大国主命)と因幡の白ウサギ
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松江城と尾形船 |

松江城を囲むお堀の屋形船
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堀川めぐりの屋形船
本当に風流でした…
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