BOYS, BE AMBITIOUS!
明治9年(1876年)7月、北海道開拓の人材育成の為にアメリカから来道したウィリアム・スミス・クラーク博士(当時マサチューセッツ州立農科大学学長)が、札幌農学校(現北海道大学)初代教頭に着任しました。
博士が残した「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の名言は、北海道のフロンティア・スピリットを代表する言葉として、全国に広がり、世々代々受け継がれてきました。
わずか9ヶ月の札幌滞在でしたが、自然科学の講義など「右手にはペンを、左手には鍬を」という理論と実践による教育、聖書による道徳教育など当時は画期的な授業内容でした。
翌4月16日、北海道発展の礎を築き惜しまれつつ農学校での任を終えたクラーク博士は、教え子達と島松駅頓所で別れを告げました。馬上から「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と叫んだ後、一鞭を与えて坂を登り、疎林の彼方にその影を没す」という訣別のシーンは、師弟愛が凝縮された感動的で格調高い一場面として記憶されています。
この荒野にこだまする訣別の辞は、時代を越えて無類の躍動感と新鮮さを、いまになお伝えております。
クラーク博士が私たちに残してくれたものは、近代的な農業の導入といった実利面もありながら、ひときわ光彩を放っているのは、『精神の開拓者』としてです。
この博士の精神は、新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾、佐藤昌介ら、我が国の近代における思想、文化史に燦然と輝く先駆者たちを次々と輩出したのです。・・・
《記念碑の言葉より》
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さすが、羊が丘・・・

Dr. William Smith Clark
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「羊が丘展望台」
後ろ右手が札幌ドーム!
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石原裕次郎と「恋の街、札幌」の記念碑
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いとこ同士のふたりはジンギスカン
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私は初めてのベニソン・ライス
(えぞ鹿肉のハヤシライス)
・・・美味しかったです
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藻岩山 |

藻岩山中腹駅
藻岩山ロープウェイとモーリスカーの中継点
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もーりすカーです!
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札幌ドーム
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藻岩山観光自動車道で中腹まで車で、そして
中腹からモーリスカーに乗って頂上まで登りました。
幸運にも晴天に恵まれて、札幌の全景を見渡す
ことができました。その中にひときわ輝くUFO形
の物体が・・・。そう、かの札幌ドームです。
姪っ子のたっての願いで、翌日はこの札幌ドー
ムに行きましたが、なんとその日は休館日でした。
残念~! ところで、様々なモノの広さを表す時に、
「東京ドーム○個分」という表現がありますね。
気になったので、その大きさを調べてみました。
東京ドームの面積は「46,755 ㎡」
(これは「14,168 坪」で「畳28,336 枚分」です)
札幌ドーム 55,168 ㎡
東京ドーム 46,755 ㎡
名古屋ドーム 48,169 ㎡
大阪ドーム 33,800 ㎡
福岡ドーム 77,000 ㎡
・・・なんと札幌ドームの方が、東京ドーム
より大きかったのですね!!
ちなみに、東京ドームの野球グラウンド部の
面積は13,000㎡とのことです。
・・・と言われても、その大きさはピンとくる
には大きすぎます。
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藻岩山展望台の頂上の『幸せの鐘』
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モエレ沼公園 |

テトラマウンド (13m)
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この『モエレ沼公園』は、日系人で世界的な彫刻家のイサム・ノグチがデザインしたことで知られています。
イサム・ノグチは、1904年にアメリカで、日本人で慶応大学教授だった父と、アメリカ人作家の母との間に生まれました。
モエレ」の名は、アイヌ語の「モイレペツ」(意味:ゆったりと流れる・静かな水面)を由来とした地名の「モエレ沼」から来ています。
人口山のモエレ山、プレイマウンテン、ガラスのピラミッドという三つのピークに加えて、このテトラマウンドも天を突いています。そしてその下にある盛土は、何かしら「古墳陵」を思わせてくれました。これは私個人の印象ですが・・・。
とても不思議な都市空間です。
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モエレ山 (62m)
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プレイマウンテン (30m)
南米のピラミッド遺跡を思わせます。
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ガラスのピラミッド (32.3m)
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プレイマウンテン頂上からモエレ山を見ると・・・
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