
復元された松前城
(正式名称は、福山城)
安政元年(1854)
日本で最後に作られた日本式の城
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道南には、五稜郭と並ぶ桜の名所である松前城があります。ここには、約250種、1万本の桜の木々が、約1ヶ月にわたり次々と開花し、訪れる人を楽しませてくれます。そんな桜のシーズンに、あるお花との出会いを求めて、またまた松前公園を訪れてみました。
それは、徳川家の家紋である「三葉葵」「葵の御紋」のモデルとなった「双葉葵(フタバアオイ)」のお花です。実際、「三葉葵」と言う植物は存在しません。
フタバアオイは、その独特の紋様をもつ2つの葉が、根元から立ち上がっています。その美しい葉を3枚合わせたのが、徳川家の「三葉葵」となります。その「葵の葉」の紋様にあこがれて、探し求め、ようやくこの地に行き着きました。
由緒ある歴史をもつ龍雲院の良寛お上人様にお願いして、その寺院の裏庭に咲くこの花を見せていただきました。念願かなって本当に嬉しいです。
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ありとあらゆる様々な桜の花が
次々と開花していきます
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みごとなお花畑が、あちこちに…
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白花蒲公英 シロバナタンポポ
Taraxacum albidum Dahlst.
white-flowering Japanese dandelion
キク科タンポポ属
龍雲院は、このお花でも有名です
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双葉葵(フタバアオイ)
Asarum caulescens Maxim.
ウマノスズクサ科
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双葉葵の花
花は普通二枚の葉の間に一つだけ
・・・でも、これは二つあります
よく見てみると、二本の葵が絡まっていました
そのために二つの花に見えたのですね!
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シロバナタンポポ
地元松前では、通称「シロタンポポ」として
親しまれています
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赤紫のお花は
優しい産毛に包まれています
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フタバ葵の花
中はまるで「宝石」のよう!
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…これが徳川家の「葵の御紋」のモデル
となった葵の葉です!
感無量!
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双葉葵(フタバアオイ)
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双葉葵(フタバアオイ)
神々しいほどに美しい紋様です!
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双葉葵(フタバアオイ)
まさに、「ハート型」!
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センボンヤリ (千本槍)
Leibnitzia anandria
キク科センボンヤリ属
別名、ムラサキタンポポ
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キバナノカタクリ (黄花片栗) (外来種)
Erythronium pagoda
もう一つ、龍雲院に咲く このお花も
多くの人を惹き付けていました
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龍雲院の『蝦夷霞桜』
エゾカスミザクラ
函館戦争で焼失を免れた
唯一のお寺です
1625年に創建されました
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キランソウ 金瘡小草
Ajuga decumbens
シソ科キランソウ属
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『血脈桜』 (南殿)
この木の精が、乙女の姿となって
現れたという伝説が
残されています
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光善寺の『血脈桜』
後水尾天皇から山号と法衣を
賜ったとされるお寺
1533年に創建されました
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先日、「かの戦国武将たちが植物を愛していた。」という説を唱えるある本を読みました。
戦国の革命児の異名を持つ、かの織田信長は、ある意外な花を愛でていたといいます。
莫大な財力と権力で天下を統一した豊臣秀吉は、派手好みで有名でしたが、人生の最後に
所望したのが、「桜の花を愛でること」だったと言います。
そしてその中でも、特筆すべきは、戦国の世を終わらせ泰平の世を築いた徳川家康であり、
家康は、専用の薬草園を持つほどの「植物オタク」であったというのです。
そして自ら煎じた薬草で長生きをしてライバルを退け、植物資源を活用した植物都市、江戸を
築きました。常に死と隣りあわせで、戦さと権力闘争に明け暮れているイメージのある武将達が、
繊細な眼差しで植物を観察し、その特徴を知り尽くし、その魅力も知っていた。武将達は
その植物を戦いに利用し、城作りに利用し、農業に利用し、領国経営に利用した。
当時の武将達にとって植物は、武器であり、戦略物資でもあったのだと言うのです。
そして家康は、まさに植物の知識で天下人になったと言えると、この本は結んでいます。
とても面白い視点だと思います。 |
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